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始球式の前に練習をする吉田義男さん(中央)=2024年8月1日、阪神甲子園球場、白井伸洋撮影
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 プロ野球阪神の元遊撃手で、監督としては球団初の日本一を達成した吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日、脳梗塞(こうそく)で死去した。4日、球団が発表した。91歳だった。

 京都市出身。立命館大を中退して1953年、阪神に入った。身長165㌢と小柄ながら走攻守三拍子そろった遊撃手で、華麗で軽快なプレーぶりから「今牛若丸」と呼ばれて人気を集めた。17年間の現役生活で通算2007試合に出場、1864安打、打率2割6分7厘。盗塁王2回、ベストナイン9回を獲得した。

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 阪神の監督は、75年から3年間務めた後、85年に復帰すると、21年ぶりのセ・リーグ優勝と初の日本シリーズ制覇を成し遂げた。89年から95年まで野球のフランス代表監督として国際的な競技の普及・育成にも貢献。97年から2年間、3度目となる阪神の指揮を執った。選手時代の背番号23は阪神の永久欠番。92年に野球殿堂入りした。

突然の着信、今も耳に残るあの優しい声色

 吉田義男さんの最後の肉声を聞いたのは昨年4月24日の昼過ぎのことだった。

 その約2週間前、100周年を迎えた阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)について、1時間に及ぶインタビューで思い出を語ってくれた。

 掲載紙面を郵送したことへのお礼の電話だった。

 「うまくまとめてもらって…

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